私、市川保明は1970年2月12日

産まれの現在中年と言われる年代なのです。

 

私は現在カイロプラクティックとエネルギーワーク、
そこにヨガの哲学を加えた、オリジナルの治療法にて
治療をライフワークとした日常を過ごしております。

 

 

今までの治療結果としては、

鬱をはじめとした精神的疾患と認識されてる症状
線維筋痛症などの、難病指定されてる症状
非常に多くの方が悩まれてるアトピーなどの皮膚の疾患。

これらに効果を発揮しています。

 

 

基本的治療哲学は、全身のニュートラル化
これに尽きると考えてます。

 

何故ならば、本当にその症状を治癒させるのは、その症状を持ってる
その人自身なんです!

私は、そのホメオスタシスを最大限発揮できるよう環境を改善させてるだけです。

 

 

 

血行が悪くなれば、必要な酸素も、栄養素も、自己免疫細胞も
何も必要部位には届きません。

神経の情報伝達に不備が起これば、血行が良くても正常な修復や生産は
行われません。

 

 

しかし、どうして私がこの考えに至り、治療家になることになったのか?
ここから初めていこうと思う。

 

この度、素晴らしい若手の皆さまの御尽力を頂き、
今迄思い出す事のなかった半生を思い出す事にしよう。

 

心霊写真にハマりとにかく変わり者だった幼少時代

 

昭和45年にこの世に産まれた私ですが、
お恥ずかしい事に今迄の日常の記憶が殆ど残って無いのです(笑)

 

もちろん、一般的な40代の男として、テレビっ子だったので、
大好きだったウルトラマン、仮面ライダー、魔女っ子シリーズ、
アルプスの少女ハイジとか、あの頃のアニメは殆ど観てます。

 

ちゃんと内容も覚えてるので、認知症がスタートしてる訳ではないですよ(笑)

 

 

とにかく記憶に鮮明なのは、幼稚園の頃に見ちゃった
心霊写真のインパクト!(笑)
この時点で私の人生が決定付けられたかも知れません(笑)

 

とにかく、変わり者なんですよ、自分で言うのもなんですがね。
今でも、この一般的だと言われる世界と何処かズレてる感覚はあります。

 

 

しかし、どうして心霊写真が今の人生に影響があるのか?
と言われるとですね。

幼稚園生ながら、私はそこに恐怖では無く“何故”と言う認識を持ってしまったのですよ。

 

何故その被写体はその時何も感じないのに写真には霊体が写るのか?
何故、その霊体には影があるのか?

まあ、変な子供ですよ実際。

 

 

その時から現実の勉強とかには興味を持てなくなりましたね(笑)
テストの点数で良い点数を取る事にも、皆んなに合わせる事にもね。

 

元々産まれ持った、水瓶座と血液型Bと言う究極の変人性質がそうさせるのか?

ともあれ、一般的常識と言う概念にはその時からおさらばしたのは事実です(笑)

 

 

今、思い返しても周りは大変だったと思いますよ。
夢ばかり言ってましたからね。
それに、同年代の10歩先の価値観を持ってたから当時からすればアブナイ奴ですよ。

 

特に異性からの受けは悪かったなあ(笑)
当時は分からなかったけど、今なら分かるわ(笑)
まあ、今でも受けが良い訳じゃないですが、思春期の異性には受け入れられないね。

 

 

でも、本心では私が一番正しい!、と信じきってますけどね今でも(笑)
もちろん、人間100人居れば100通りの価値観がそこには存在するので、
合う人も居れば、合わない人も存在するのは当たり前なんだよね。

 

私が言いたいのは、合わないのが悪いんじゃなくて、強制させる・自分を押し殺しても相手に合わせる。
この行為が世界を地獄に変える本質なんだと思う。

 

 

合わない人はそれでいいじゃない?
その人に合う人は何処かに居るんだから、無理して仲良くする必要は無いのよ。

自分と価値観を共有できる人と居れば、そこは天国なんだから。

 

相手の価値観を認めて自由にさせてあげればいいじゃない。
離れる人を無理矢理自分を押し殺して、止めさせてもいい事何も無いよ。

また会う必要があれば、その時には会えるんだから。

 

 

ちょっと脱線したけど、私の基本的理念はこうなのよ。

 

だから、人生楽よ今はね。
来る者拒まず、去る者追わずよ。
出戻りも受け入れるからね。

 

 

戻すと、私が欲した疑問の答えなんて何処にも無いのよ、当たり前だけど(笑)
方程式の解き方は書店に行けば専門書あるけど、心霊写真の写し方なんて専門書は無いからね(笑)
限られた情報を頼りに、自分の思考しかない訳で。

でも、今でもあるけど学研の“ムー”にはお世話になったなあ(笑)

 

最近は読んでないけど、初期は良い執筆者が多くて得る事は多かったね。
おかげで、今でも社会的なニュースを見てても陰謀論を絡めて見ちゃうからね(笑)

 

でも、真実はメディアに乗らないからね。
自分の思考こそが真実への道だと思うのです。

 

 

その為、最初に書いた“日常での記憶があまり無い”に繋がるのですよ(笑)
現実世界以外の事に没頭してて、毎日がルーティンワークになってたのね。

 

最初は心霊写真からのスタートでしたが、色々(と言っても、ムーが中心(笑))
な情報源を読み進めるうちに、心霊だけでは解明出来ないと思い始めた訳ですよ。

 

 

肉体に個人差が有るのは何故か?
同じ病気でも、助かる人と死ぬ人の差は?
とかね。

 

でも、まだその頃は何も知らない中学生よ。
答えも出ないし、周りはアホばかり(と本気で思ってた(笑))から
刺激を求めてバカな事してたと思うよ。

 

 

しかし、今なら言える!
若人よバカは若い内にやれ!(笑)
中年になって後悔してももう出来ないぞ。

 

全ては自分を高める為の体験に過ぎないからね。
しかし、行動をする事で未来の選択肢は増えるのです。

 

 

だから、今となっては良かったと思う。
あの時を一般的な価値観で見たとすると、悲しいとか大変だと見る人も居ると思う。
何しろ、異性には腫れ物を見るように見られてたし、まあ今で言う所の外れ者よ。

 

しかし、運命と言う目で見るとそれは正しい状況なのよ。
何故かと言えば、もしその時私がモテモテで人気者であったとしたら、
今の治療家の私は存在しないのよ。

 

だって状況に満足して、上京はしないよね。
その場所で幸せなんだもの。

運命は私に世界を見せる為に、地元から離れるように促していたのよ。
そして、その流れに乗ったのさ。

 

これは、誰にでも言える。
誰にも、無駄な時間は存在しない!

今は、必要だから今を体験しているのです。
決して絶望する必要は無いのです。

 

今の治療哲学に通じるベースと出会った学生時代

 

そして、なんだか不思議な中学生生活も終わりに近づいた頃、

 

もう一つの大きな運命を変えるとんでもないものと出会ってしまいました(笑)
ある意味、これも現在進行形で続けてますね。

そして、根底に有るのは私の治療哲学と同じなのですよ。

 

それは、音楽!
ギターを弾き始めてしまったのですよ。

 

 

最初は良くある話の、従兄弟から使わなくなった古いクラシックギターを貰ったところからなんだけどね。

とりあえず、コードの載ってる歌の本を買って見よう見真似で押さえながら弾いてたの。
でも、不思議なもので一曲通して間違えずに弾けると嬉しくてね。
ムキになって毎日弾いてましたよ。

 

 

そして高校に入り、軽音楽なんて入ってしまいまして、そこで運命が決定付けられたのです。

そこで、ベースを持ってしまったのです(笑)

当時は、全く分からなくてね、ベースがなんなのか(笑)

 

実際ベースを自由に弾けるようになったのは20代後半だったかな。
それまでは、一般的な縁の下の力持ちベースだったね。

 

 

で、その音楽と治療哲学の何処に共通点が有るかと言うと、
それは、“調和” なのですよ。

どんなに独りで凄い事やっても、全体の調和が取れない限りそれは曲として成立しないのよ。

 

そして、ベースこそがその調和を取る楽器なのよね。
ただ、コードのルート音を弾き続けても隙間だらけになるし
ギターとユニゾンでもダメ。

 

ドラムとの揺らぎ(これをグルーブと言います)を生みながら
全く独立した音階を弾く事で、ギターのリフとヴォーカルのメロディラインを盛り立てるの。

 

 

正しい人生もそうだと思うの。

 

肉体としての神経の情報伝達、血液や体液の正しい循環。
スムーズな内臓の動き、そして関節の正しい可動域。

そこに多面的に状況を落ち着いて観られるメンタル。

肉体と精神が美しい楽曲として調和した時に、その人自身の正しい人生が動くと思うのね。

 

 

病気とか不具合は、その調和が何処かで擦れてハーモニーが乱れてるだけなのよ。

だから、ベーシストで有る私だからその調和を見つけられるのかも知れない(笑)
それを治療に当てはめてるだけなのよ。
だから、ある意味感性が必要なところではありますね。

 

 

実際、私の治療法では手を当ててるだけ(のように見える)の技法もあります。

しかし、その時でも私は手から患者様の体液の循環、筋膜の動き、内臓の鎮静、神経の伝達
これらの情報を得て、乱れてる部分に微調整を掛けてます。

 

だから、教える事が非常に難しい(笑)
感性の問題ですからね。

 

今でも、ベースは弾き続けてますよ時間があればね。
もちろん、ギターも弾けるし、ドラムも叩ける。
でも私の魂とは共鳴しないんだよね。

 

ベースを弾いてる時だけが自分を解放出来るのを感じるよ。

 

これは、性分なんだろうね。
治療家になってから特にそれは感じますわ。

 

 

そして高校生活に戻ると、その時は地元でも一流と言われてた進学校に入ったのですよ
こう見えて(笑)、しかし音楽と出会ってしまったのと、元々の天邪鬼が災いして、
学力は下がったね〜(笑)

 

本来、成績とかランキングが大嫌い(まあ、今でもですが)なので、
最下位の成績でも全く恥を感じた事が無いのですよ。

 

当時の周りからは白い目で見られたね〜。
進学校だから、クラス順位なんて発表されるから、ランクが下がると私に非難が来るわけ。

 

 

でも私は堂々と、

『この順番を付ける世界ではトップを取る人間が存在する以上、そこには必ず最下位が存在しなくてはいけない。

皆んなは最下位を取りたく無いから勉強をしているのでしょう?

ここで私が最下位ならば、誰も最下位にはならないのだよ? 汚れ役を引き受けてる私になんの文句があるのかね?』

なんて言っちゃってね(笑)

 

まあひねくれた高校生だね。

気質は今でも同じだけどね(笑)
周りと同じ事をして結果が出なければ、違う挑戦をしなければ新たな結果は生まれない。

これが私の哲学だからね。

 

本当の自分を生きる為には、周りの目に怯えてはいけないと思うのです。
嫌われたくない、仲間外れになりたく無い。
このメンタルこそが、本当の可能性を殺す一番の原因だと思うの。

 

だって、何をしても“それは良いね〜”って言う人も居るし
“最悪だね、どうしてそんなことするの?”って言う人も居るのよ。

 

全ては全人類に平等に与えられた“自由意思”であり“価値観”なんだよ。
その意思を否定する権利は私には無いのさ。
だから私は否定はしない!
その代わり、やりたい事をやる。

 

これが、楽しく自分らしく生きる秘訣じゃない?

 

 

しかし、その高校生時代には治療家になる!
なんて意欲は全く無く、そんな仕事が存在する事すら知らない私は
ひたすらベースを弾いて終わりました(笑)

 

もちろん、オカルト系の研究は続けてましたよ。
でも、だいぶ深くに入りすぎてしまいましてね。
初めてのタロットカードを買ったのもこの頃だったなあ。

 

ダウジングも練習しましたね、後はこっくりさん(笑)
心霊スポットも行ったなあ。

 

何しろ、やっちゃダメと言われる事はとりあえずやる(笑)
と言う価値観ですからね。

 

見出し

 

そして、進路の問題が出てくるよね、そりゃ高校生だから。
しかし、私の出した答えは“就職”
大学に行くと言う選択肢は最初からなかったね、今だから言うけど(笑)

 

何故か? と言われれば、答えは必要がなかったから。
学部としても、私の興味を満たせるところが無いからね。
だってオカルトだよ?
現代科学と完全に逆行してるからね。

 

仕事はとにかく生きる為と音楽活動をする為の資金、それから本を買う為だね。
だから、仕事にも深いこだわりはなかったね。

 

 

 

色々職歴は豊富ですよ。
最初はファミレスだったね。
ここは高校を卒業するのに、進路は決まってるとアピールするのが目的だったなあ(笑)

 

実際、入社しても酷かった(笑)
店長の人間性がね、と言っても私だけには言われたく無いだろうけどさ(笑)
そこでは包丁捌きとフライパン捌きを覚えたね。
おかげで今でも料理は上手いと思うよ。

 

そして、辞めて出てきましたよ花の東京!

もう仕事はバイト中心よ、音楽やる為にね。

ちょうど、フリーターって言葉が生まれた頃よ。
つまり、時代の先端を行ってた訳だ(笑)

 

 

後は、服屋もやったし、トラックも運転して資材運んだし、

大日本印刷内で雑誌も作った事も有るし、本屋で働いた事も有るし。

 

一番長く続いたのは通販業界のクレーム処理かなあ。
これは自分でも意外よ。

 

こんなわがままな性格の人間が一番正反対の仕事をしてたんだからね。
でも、顔を見えない事で起きる人間の心の状態って言うのを観察するには良い勉強になったね。

 

 

ちょうどその時はオカルトから一歩進んで独学で心理学方面に手を出してたのです。
しかし、フロイトとか、ユングとかを読む訳で無く、いきなり犯罪心理学から(笑)
これは失敗しましたね、自分が病む寸前まで行きましたよ。

 

 

でも、自分の経験で精神が乱れて行くメカニズムは得られたので結果、無駄では無かったですけどね(笑)
全て、体験に勝る経験無しよ。
その後はちゃんとフロイトとユングも神智学も勉強しましたよ。

 

その頃、音楽活動ではちゃんとバンドも組んでライブも月1ペースでやってましたね。

ちゃんと、作詞・作曲もしてたんだよ(笑)
今はやってないけどね。

 

その時は、渋谷take off 7 新宿ロフト 下北沢屋根裏が中心でしたね。
結構有名どころに気に入られてたのよ、これでも。

 

もちろん、今でも諦めてないからね!
ベースが欲しいバンドは言ってね、音数多いけど(笑)
プロになる気は無いけどね、何処か小さいハコでライブ出来れば良いな。

 

 

そして、惰性でバイトしてたクレーム処理もこのまま続けても得る事がなくなったので
辞めて、一念発起で広告営業の仕事に就いたのです。

 

 

そしたら、これが俗に言うブラック企業よ(笑)
でもそう言うところで働く人たちのメンタルは知る事が出来たね。
それで、底辺の営業業務(もちろん素晴らしい営業職も有るのは知ってますからね)
の実体を知ったので、興味を失って3ヶ月で辞めちゃった(笑)

 

 

昔から、もう一つの趣味で推理小説を読むのが好きでね。
おかげで、常に周りの細かい所までチェックする癖がついちゃったよ。
でも、興味が湧けばの話でね、興味が無ければ何も見てないです(笑)

 

 

その次に就いたのはパチンコ屋。
ここは大変でしたね、何しろ入ったのも20代後半だったからね。
肉体的にはあの労働内容はギリギリだね年齢的にも。

 

しかも入った時点で店内で一番の老体よ、店長よりも年上だったからね。
でも、仕事は未経験だしこれで変なプライド出しても孤立するだけだから
プライド捨てたね、元々無いけど(笑)

 

仕事が出来る人に若い、年上は関係無いよ。
若くても、敬意は払うべきなんだよ。
歳で付き合う訳じゃ無い、魂で付き合うのに年齢なんて無意味だね。

 

でも、人間関係と言うのを見直すには良い機会だったよ。

 

しかし、楽しかったよパチンコ屋の仕事は
元々パチンコはやらないんだけど(今でも)、業界の裏を知るにはね。

 

古い機種だと夏場は苦労したなあ、落雷が有ると電源落ちるのよ。
そうなると、フィーバー中のお客様のイライラはMaxな訳(笑)
なだめるのも仕事だからね。

 

しかも、レア機種も置いて有ってね、壊れてもパーツが無いのよ。
だからプラモ作りの要領でプラスティックを切り張りして作るとかね。

 

これまでも職種は色々やったけど、ちゃんと成果はそこそこ出してたんだよこう見えて(笑)

意外に器用貧乏な所が有って、なんでもそつなくこなせるの。
だから、ちゃんと昇進試験受けて副店長にまでやったんだよね。

 

でも、チェーン店だから移動が有ってね。

それが嫌だったのと、業界に未来が見えなくて辞めたね(笑)
今でも、その時の名残でパチンコ屋を見ると中を覗くけど、どこも酷いね。

 

もうパチンコの時代は終わりかね。
まあ、私の見立ては正しかった訳だ(笑)

 

ちょうど、パチンコ屋もそろそろ潮時かなあと思い始めた頃にね
移動して来た年配の同僚がね、全然昇進出来ないから俺さ、整体師になろうと思うんだ
なんて言ってたのです。

 

ここで、遂に今の私に繋がるキーワードが出て来たよ(笑)

 

どんな仕事ですか?、って聞いたら“マッサージみたいなものだよ”なんて答えが来てね。
独りで出来るし、ハイエース改造して高速のSAでやれば結構儲かるみたいだよ。
と、聞いたのです。

 

しかし、まだその時はピンと来なくてね。
その時、某有名“中古漫画とマニア向けアンティーク玩具”を扱う会社で
精神世界向けのネットTVのスタッフ募集が有って、受けたのです。
そしたら、通ってしまったのです。

 

 

入ってみたら、まあどこそこで映像の助監督やってましたとか、
男性向け映像のスタッフでしたってのが居たけど、
こいつらが今まで私がで会った人種の中で一番役立たずだったね(笑)

 

とにかく、スタジオでは大きな顔してたからその癖が抜けないの。
それに中途半端に地位が有ったから、“俺、偉いし”オーラがビンビンな訳(笑)
入って一週間で転職の準備してたね(笑)

 

でも、その映像配信は毎日色々なゲストを呼んでトークしてもらうって事をやってました。
ニコ動のハシりだった訳だ、今思えば。

 

そこで、日本でもトップの易の先生とかいらしててね、
それに昔から愛読してた心霊写真集の編集者が来て、当時の裏話を聞いたり、
件の雑誌ムーの編集長も来りね、
それはそれで盛り上がりましたね(笑)

 

 

さあ、いよいよ今までの経験が意味をなして来ましたよ(笑)
どんなに無意味に思える事でも諦めずに続ければ何らかのリターンは有るのよ人生。

 

そこで、ゲストとして毎週来てた台湾式足裏療法とカイロプラクティックをやってる
治療家が居ましてね、話を聞いてるうちに“俺にも出来るんちゃうか?”
と、思ってしまったのです(笑)

 

 

さすがに色々な世界を見たり体験して、有る一つの明確な事実はあったのです。
それは、“私には組織は無理” これなんですよ。

 

そして、有る決意をして会社を辞め、新橋に有る整体師養成学校に申し込み用紙を
持って行きました。

 

本当、ここまで読んでくださった皆様すみません(笑)
最初に色々な症例の改善がどうのこうのとか、ご紹介で私の施術をお受けくださり
好感をお持ちくださった皆様、本当すみません(笑)

 

治療家になるきっかけはこんな程度の事でした(笑)

 

 

全然、自分が病気がちでホリスティック医療で改善したとか、
昔の怪我でずっと困っててそれを改善してもらい、感動して自分も目指したとか
そんな美しい話はどこにもありません(笑)

 

 

でも、ここからが本当に大変だった。
さすがに今の私になるには脳から血が噴き出すんちゃうか?
って思うくらいに思考と独学の連続なんですよ。

 

 

さて、学校に入りましてですね。
習った訳ですよ、技術を。

 

しかし、そこで習った事は今では使って無いなあ(笑)
何故かと言えば、基本“ほぐし”なのよね。
ここが、一般的“整体業”の問題なんですよ。

 

今の日本では免許が無い限り“マッサージ”と言ってはいけないのです。
そこにも問題が有って、店を出すときにマッサージの場合、保健所に申請するのですが
その代表者が免許を持ってれば従業員は無資格でも良いのです。

 

だから名義貸しで生活してる免許持ちも居るんだよね、自分は仕事しないでね。
で、何事にも抜け道はある訳よ。

 

マッサージは免許が必要だけど、整体は要らないのよ。
保健所への申請も要らないしね。

 

だから私は自分の事を“整体師”とは言わないの(笑)
そこはこだわりを持って“治療家”なのです。
まあ、規定の時間をこなして卒業しましたよ。

 

それで、最初に入ったのが多摩地区に有る整骨院なんですよ。
最初から上手く出来る人は存在しないよね。

 

勿論、私も同じよ。
その整骨院での修行は大変だったね、色々職種は体験してたけど別問題よ。
まず、全く習った事が役に立たない(笑)

 

そこで、整体学校の問題に気づいたね。
学校は、所詮“事業”なのよ。
生徒はお客様なんだよね、当たり前だけど。

 

で、お客様が支払ったお金に対して技術と言う商品を出してるだけなんだよ。
だから、学校からすれば、その技術が使えるかどうか?
はどうでも良い事なんだろうね。

 

しかも、技術の時間が9割で知識は1割(笑)
これじゃ、マッサージに毛が生えた程度で終わるわな。
だから、整骨院で患者様に最初入る時は怖かったなあ。

 

完全に緊張しきって、手足震えたね。

 

それまでは何を言っても、そこまでの責任は背負って無かったね。
失敗しても、怒られれば済む程度だけど。

やっぱり、人体を直接失敗だと怪我だからね。

しかも、駆け出しの下手っぴいだからさ、緊張感は尋常じゃないよ。
それこそ、今の私からは考えられない発言だよね(笑)

 

頚椎アジャスト掛ける今の施術からは全く考えられないよ。
でも、心構えは変わって無いよ。
アジャスト掛ける時は全身を硬直させて絶対に怪我をさせないように究極の緊張を持ってます。

 

おかげで私の両奥歯はガタガタよ、思い切り噛み締めてるからね。
気持ち的には、毎回が人生を掛けた試験だよ。
失敗したら、私の全ては終わりなんだよね。

 

でも、だから面白いのよ。
人生を掛けられる事がね。
しかし、その時の私はそんな余裕は全く無く
少しでも周りの先生方に追いつくために必死で覚えるだけだったよ。

 

しかし、そこでも深い勉強は教わらなかったなあ。
技法は教わったけど、理論は特別無かったからね。

 

そこで、骨格標本を使って骨をひとつづつ自分で絵に描いて覚えるとか、
勉強方法は教わったのです。

 

まあ、必死で覚えたよ、仲間の先生方も身体を提供してくれて触診の練習もいっぱい出来たし、そこは感謝ですよ。
解剖学の写真集も本当に穴があくほど見たね(笑)
解剖学をしっかり覚えると技法は本を見るだけで判るからね。

 

整骨院での解剖学の勉強は為になったね。
そのおかげで後が楽だったよ。
そこではカイロプラクティックの施術も取り入れててね、

 

カイロプラクティックの技術はその整骨院時代に教わったのです。
一口でカイロプラクティックと言っても、現在、流派はいっぱい有るのよ。

 

世界で最初のカイロプラクティックの施術と言われてるのは、
1800年代にアメリカのD.D.パーマーが、難聴で困っている患者が来た時に
うつ伏せで診察した際に中部胸椎の後方変位が認められ、そこをそれまで行ってた

 

日本で言うところの柔道整復術のような方法で前方に矯正を行ったところ、
大きな矯正音と共に難聴が治った。

 

これが、スタートとされてます。

 

しかし、その後現在ではカイロプラクティックの父と言われてるD.D.パーマーの息子
B.J.パーマーが出て来ました。

 

最初は親子で頑張ってたのです。
当時のアメリカでも、カイロプラクティックは偽医学とされて、投獄されたり
迫害されたりと大変だったのですよ。

 

しかし、息子のB.J.パーマーがカイロプラクティック学校を始めてから様子が変わります。
B.J.パーマーの理論は決して間違えて無いと思います。

 

それどころか、彼の遺した“グリーンブック”この理論は私も影響を受けましたね。
B.J.パーマーの理論では、人間で最も重要なのは“イネイト・インテリジェンス(先天的知能)”
で有ると説いてます。

 

では、そのイネイトとはなんぞやと言われますと、
人間毎日食事したり呼吸をします。
そして毎日、細胞分裂をして古い細胞は死滅していきます。

 

一体何が外部から取り入れた栄養素を生命に変換させてるのか?
一体何が根本的欲求を引き出してるのか?
それらは意識と言う部分では無く今の肉体以前から脈々と続く知能の連鎖と言うものだと
彼は考えたのです。

 

そのイネイトの住処こそが“脳幹”であると決定付けました。
何故ならば、人間も最初は母親の卵子と父親の精子が結合した受精卵と言うたった一個の
細胞でしかありません。

 

そして数え切れない程の細胞分裂を繰り返し、肉体を作り上げます。
しかし、一番最初に構成される機関は神経細胞であり、脳幹から造られます。
つまり、イネイトの継承から始まるのです。

 

そして受け継がれたイネイトが自分を創り上げると言うことです。
その理論により、B.J.パーマーは脳幹を納めてる、上部頚椎さえ戻せば本来の健康は取り戻せると唱えました。

 

そこで、B.J.パーマー・カイロプラクティック学院を設立したのですが
彼は経営と金儲けに走っちゃったのですよ。

 

それは、アジャスト前には彼が開発した第一頚椎傾斜測定器で計測しない限り、アジャストを行ってはいけない。
しかし、その測定器は販売は行わない、全てリースで使用毎に使用料を払わなければならない。

 

せっかく良いこと言ってても、これやっちゃったら信頼無くなるよね(笑)
しかも、父親のD.Dが行った最初の施術も頚椎で有ると事実を曲げちゃったのよ。
その後、父親からも訴訟を起こされたりね(笑)

 

 

でも、何故私がそのイネイトの理論を取り入れたかと言うと、
その前にユング博士の本を読んで心理学の勉強をしてたからなんですよ。

 

ユング博士は、人間の意識の最下層には“セルフ”と言う部分がありこれは全ての存在と繋がっており、時を超えて連鎖されてると言っているからです。

 

仏教でも同じ事が言われてます。

心の奥底には、マナ識・アラヤ識と言われる部分があり、これが仏性と言われるところだとね。
つまり、他でも同じ事が言われているので、これは必要な情報だし取り入れるべきだと
私のイネイトは判断したのですよ(笑)

 

だから、本来のカイロプラクティックの定義では上部頚椎のアジャストこそがカイロプラクティックなんですよね。

しかも、瞬間での三角筋プル・アップと言う技法だけです。
それですと、矯正音もしませんし、何をされたのかもわかりません。

 

そう言う意味では、患者様のストレスは最小限で済みますし、リスクは粗0です。
勿論、私も出来ますよ。
ご老人の方とか乳児とか、矯正音に恐怖を感じる方には行ってます。

 

では何故、わざわざ痛みと恐怖を発生させる技法を貴方はするの?
と言われるとですね。

 

本当の意味で早期改善を見込むならばそれしか方法が無いからです。
何故ならば、人体の椎骨と言われる部分(背骨)の事ですが、ここは正常な状態でも自重の3倍の圧力が寝てても起きてても掛かります。
抜ける事はありません。

 

椎骨と言う部分は隣の椎骨とは(面)で接しているのですよ、圧力が大きいから。
しかもその間にはクッションとして、椎間板があります。

 

しかし、それが捩れるという事は、接地面の面積が狭くなると言うことなんですよ。
ということは、その接地面が狭まる事で、その部分の圧力はねずみ算的に跳ね上がります。
もう、1トン、2トンの話なんですよ。

 

しかも、その捩れには時間経過も加わってます。

 

そこを幾らリコイル運動が掛かるからといってもB.Jの方法では正しい関節の可動域は
戻せないんですよ

しかも、私のところに来てくださる方々はもう心身共に限界の方も多く、
緩やかな改善は出来ないのです。

 

とにかく、その辛さは軽減できるんですよと言う事実を示したいじゃないですか。
だから、瞬間的な肉体的苦痛よりも、その後の精神的緩和を私は最優先にしています。
だからあの施術方法になったんですけどね。

 

でも、この理論を構築したのは整骨院を辞めた(と言うかクビになったと言うか(笑))
後なのよ。

そこの整骨院でも、得ることは多かったですよ。
今の私の施術の順番と言うか全体の流れは整骨院で教わった順番ですからね。
これは、ベストな流れだと思います。

 

 

とにかく、技術と解剖学はしっかりと現場を通して覚えたので、もっと実地を踏みたいと思い、町のマッサージ屋に入ったのよ。
そのマッサージ屋は先に書いた代表者が免許持ちのお店でね、だから名乗れたんだけど。

そこでは、自分のやり方で良いよってところなのでありがたかったなあ。
しかも他の従業員も、色々な治療院を流れて来てたので情報交換出来たしね。

 

ここで、解剖学の知識が役に立つのよ。
話を聞くだけで関節とか筋肉の動きがイメージ出来るからね。
直ぐに再現出来た(笑)

 

そこで、色々な技を覚えましたよ、もうデパートくらいに(笑)
でも、今使っているのは3つ位です(笑)
今でも出来ますよ、他の技術も。
でも、必要無いのよ。

 

それはどうしてか?、と言われれば、殆どの技術は“この部位にはこの技法”
なんですよ。

私は部分を診てる訳じゃ無いですからね、全部の調和ですから。
そうすると、取捨選択でそれしか残らなかった(笑)

 

でも、まだこの時点では一番肝心な“脳と脊髄”の調整は出来なかった。
脳脊髄液の循環に関しては朧げながら知ってはいましたが。
整骨院でやってたカイロプラクティックのメインは“SOT”と言う流派だったのです。

 

その技法は矯正を殆どしません、その代わり“ブロック”と言う専用の楔を
骨盤の決められた位置に決められた時間差し込むと言うだけです。
で、その時間で脳脊髄液の循環を促すと言う技法なんですよ。

 

ここからは裏話ですが、8割のズレに対するブロックの使用では戻りません。
整骨院の院長が言ってましたからね(笑)
あの方法は、ここを出て5歩も歩けば元に戻るよ、なんてね(笑)

 

で、整骨院は儲からないのよ実際。

保険診療だから保険点数を取らないともらえないからね。

で、保険診療外の事をちょこちょこやって小銭を取ってた。
だって、治しきっちゃダメなんだもん(笑)

 

通院させないと、お金にならないからね。
で、ちなみにあの整骨院とか整形で当てられる電気ね、これも交換有ると思って使ってる
ところは無いよ、私の行ってた院長も交換無いよって言い切りましたからね(笑)

 

厚生省の規定で、導入しないと保険診療を認めてもらえないから使ってるだけですからね。
実は、それを聞いてガッカリしちゃってね。
それで整骨院に対する興味を失ったのよ。

 

でも、何故か治療家への道は諦めなかったね。
元々凝り性なところが有って興味を示すと極限まで行きたい性分だからね。

 

で、マッサージ屋にいた時にエネルギーワークをやってた同僚が居てね。
話しを聞いてて、私もやりたくなったんです。

 

そこで、色々調べて“レイキ”を習いたいと思い、当時渋谷に有ったスクールに行ったのよ。
実は、これまで言った事は無かったんですが実はレイキは何時も使ってます(笑)

 

特に、受けてくださった皆様は最後の一番肝心な“脳と脊髄神経の調整”
これは、レイキが無いと出来ません(笑)
勿論、無くても動きますけどね。

 

動きはするけど、“ゆらぎ”が生まれないんですよ。
どうして言わないの? と言われたら、ほらちょっと色物でしょ(笑)
自信を持って“レイキやってます”と言えなかったね〜

 

でも、“レイキマスター”まで取りましたよ。

そこのスクールでも、前に居た指導員がスピリチュアルと、色々な治療法を学ぶのが好きだったようで、それらも教わったなあ。
おかげで、少ない投資で幅広い治療法と理論を知ることが出来たよ(笑)

 

そこでもね、“君にここの看板を背負って広めて欲しい”と、ありがたいお話を頂いたのですが、

私はオリジナルで“特別な”治療法を確立したかったから、慎んでお断りしました(笑)

 

でも、レイキのおかげで私の潜在意識に埋もれてた色々な感覚が目覚めたね。
初めての患者様がいらした時も悪いところは目視以前に感覚で“違和感”を感じるのよ。
その後、目視で当たりをつけて最終的に指で確認するってところですね。

 

後は、レイキのおかげで除霊も浄霊も出来るようになったし。
占いも出来るようになったし(笑)
神様との交流も出来るようになったね。

 

これは、かなり色物話になるよね(笑)
顔をしかめる人も多いだろうと思う。

 

しかし、ここが重要なところなのよ。
本当言うと、私の最終的治療法の確立と今の技術は“とある神様”のエネルギーに
教わったからね。

 

だけど、宗教の皆様すみません。
私は宗教には興味無いので、洗礼も受けた事無いですしこれからも何処にも所属しません。
それは、確固たる意志なのでどんなに金積まれても断るからね。

 

興味が無いと言うのは少し違うな、哲学的学問としては好きなので、聖書も読んだし
イスラムの勉強もしたし、原始仏教からの現在までの流れも勉強したなあ。
全部独学で(笑)

 

別に人に教わる必要ないよね、出てる本読めば全部わかるし、ネットのおかげで
どんな情報も入手出来るからね。

しかし、色々な情報を集めれば集めるほど“矛盾”は増えて行くよね(笑)
だって、色々な”価値観”を集める訳だから。

 

しかし、その価値観は自分の物では無いのよ。
基本、私の欲求は“自分の価値観を持つ”これが第一なのかもしれない。

 

人真似は嫌なのよどうしても。

では、それをどうやって自分の物にするのか?
これはあくまでも私のやり方だけど、その“矛盾”に着目するの。

 

その矛盾を出して、どうすればそれを一本の糸で結ぶ事が出来るか?
その一本を自分の思考でなんとかするの(笑)

 

そうすれば、その一本は自分の価値観さ。
でも、そこへ導かれたのは“他の価値観からの情報”である事も事実だよね。
そこはありがたく感謝しますからね(笑)

 

人間、独りでは何も出来ないよね、感謝の気持ちは忘れちゃいけない。
その考え方はずっと読んでた“推理小説”の癖だね。

でも、日本作家のは殆ど読んでないなあ、金田一シリーズ位だね。

 

基本は海外古典作品だったね。
有名作家は殆ど読んだよ。
いっぱい持ってたけど、売っちゃった(笑)

 

まあ、それはそうとして、何が起きたのか?
と言うと、寝ながら布団の中で“これからどうすればいいんだろう”と真剣に考えてたのです

 

そしたら、半分ボーっとしてた時に私の尾骨の辺りから白い光が蛇のようにうねりながら
脊髄を通って脳に入って来たのです、それと同時に眉間に白い球が、胸の中心に赤い球が

 

外から飛び込んで来てね、頭の中で光が炸裂したのです。
嗚呼、完全なスピリチュアリズム(笑)
苦手な方は読み流してね(笑)

 

でも、そこから変わったのは事実だと思う。
それまでは文章を書くのも苦手だったし、人付き合いも悪かったはず(笑)
まあ、人付き合いは今でも良くないか(笑)

 

その体験が無ければ今の私は存在しない、これもまた事実なんだよね。
それからだね、調和とかゆらぎのメカニズムが理解出来るようになったのは。
それに記憶力が上がった。

 

25年前に英会話学校で英会話習ったのよ、勢いで(笑)
でも、全然使わなかったしそれまでは外人とも話せなかった。

しかし、必要が出来て3年前から海外に行く事が増えたんだけど、
不思議と話せるのよ、その場になると(笑)
本当に自分でも不思議なんですよ。

 

だから、本とか読んだりするのも特別意識して読んでるって事は今はないなあ。
感覚の波長を読み取っているって感じです。

 

この文章も同じ、波長と言う調和を整えながら書いてるだけなんだよね。
で、人と話してるときも勝手に記憶が蘇ってくるのです。
そう言えばこんな記事が有ったなあ〜、って感じです。

 

それでも、まだどうすれば効果の高い治療法はないものか?
と思考錯誤の時間は続きましたね。
で、今でもそうだけどただボーっと空を眺めのが好きなんですよ(笑)

 

そしたら、ある時遠くの雲がだんだん集まってドーム状になってくの。
その次は、皺が表れてね、つまり“脳”の形になったのよ。
これは直感で“脳”を治せとのお告げだと感じてね。

 

とにかく脳生理学の勉強を始めたよ、それと神経のもっと細かいところね。
そしたら、行き着くところは脳脊髄液なんですよ。
そしたら、今まで勉強してたオカルトと医学が結びついたのです。

 

まあ、それで今に至る んですけどね。
なんだか、固い話になっちゃったよ(笑)

 

しかし、治療家としての話になると盛り上がっちゃうからね。
とにかく、何か不調が有って心身どちらかが苦しければ、取り除けるからね。
人間は誰しも、魂の目的が有ってここに居るのさ。

 

本当の愛を知る為
本当の自由を知る為
魂同士の交流を知る為

 

まあ、そこは何でも良いや(笑)
とにかく皆、自分で決めた目的があるのよ。
それを、肉体の問題で中途半端に終わったらつまんないじゃ無い?

 

でも、偉そうに書いてきたけど、別に私は“治してあげましょう”なんて
高尚な気持ちは持ち合わせて無いよ。
じゃあなんで?、と聞かれたら答えは“好きだから”

 

これだけさ。

 

とにかく、自分の“治療哲学”で診立てた通りの状態で、
私の全精力を出し切った技術で、イメージ通りに出来ることが一番楽しいのよ。
だから続けられるのです。

 

思うに、一流と言われる人たちは皆そうだと思うよ。
その瞬間の自分の行為が好きだからやってるんだよ。
だから信頼されるのよ。

 

楽しい・好きって言う神経の情報伝達力は何にも勝ると思うよ。
だって、無理矢理勉強したりいやいや仕事をしたとする。
しかし、脳細胞の数には限りがあるよね。

 

その限られた中で、仕事と早く終わりにして違う事したいと言う2つの思考を同時にすれば
思考の為の神経細胞は少なくなるでしょ?(笑)

 

楽しい事なら、限りなく全部を使い易い環境になる訳だから、差は歴然よ。
そう考えても、楽しく無い事しても、全く無意味です(笑)

 

今の物理学では“量子力学”ってのがありましてね。
これを追求すると、最終的には“あなたが体験している現在はあなたが体験する為に自ら作ったのです”になっちゃうのよ。
だったら苦労なんてしたく無いね。

 

楽しく生きたいじゃ無いの。
別に私も無理矢理勉強した訳じゃ無い、好きだからしただけなんだよ。

 

医学以外の方法で人体を改善出来たら面白いじゃない?(笑)
だから、最初に書いたように価値観の違いで済ませば良いのさ。

 

合わない人は合わないんだもん。
合わない人たちの人生まで背負う必要は無いしね。
だって私は神様じゃ無いから(笑)

 

こんな、パーソナリティーの治療家なんてそうそう居ないよね(笑)
でも、これが真実さ。

 

しかし、治療をしてる時は100パーセント本気だよ。
その時出来る事は全部するからね。

 

だって、次にその人と会える保証は無いんだから。
だって、患者様が私の事を受け入れない事も有るし、
第一、私が何らかの事故で死ぬかもしれないでしょ。
それなら、全部出来る事をやらないとね。

 

それが本当の一期一会さ。

 

自分が、やりきった〜!、と胸を張れれば良いのよ。
これが、私です。

 

皆様これからもよろしくお願いいたします。